はいどうも、カワウソだよ。
今、英語界隈で大騒ぎになっている問題がある。
それが4技能試験だ。
今までの、リーディング・リスニング・ライティングに加え、スピーキングが新たに入試英語に導入される予定だ。
専門家の中でも意見が分かれていて、東進の安河内哲也先生や駿台の竹岡広信先生など推進派がいる一方で、根強い反対派もいる。
史上最悪の #英語政策
スピーキング入試対策 pic.twitter.com/B23HK00kBY— 小包中納言 (@AS_Insects) 2018年1月28日
確かに、今までの教育で大きな問題はなかったかもしれない。反対するのもうなずける。
しかし、僕自身は英語四技能化に関しては賛成の立場を取るよ。
しかし、政府が推進している形での四技能化には反対する。
今回は、なぜ英語の4技能化自体は効果的で、しかし民間試験導入はダメなのか、その理由を考えていくよ。
目次
英語のライティング・スピーキングは技術だ
リーディングができても話せるとは限らない
まず、真っ先に言いたいことがある。
リーディングができるからといって作文ができたり話せたりできるとは限らないということだ。
ぼく自身は英検1級の一次試験を取得している。これは、リーディング・リスニング・ライティングの3つの技能でC1(熟練した言語使用者)レベルと認定されていることを意味している。
実際、アメリカの雑誌『TIME』を読んでいても、一番メインの記事は注意深く読まなきゃわからないことがあるけれど、それ以外の記事は未知語があっても内容が理解できるし、未知単語に出くわしても意味が文脈から判断できる程度にはなっている。
自分で言うのもなんだけれど、読む技術に関しては、日本人の中で上位1割には入っていると思うよ。
では、strong>そんなぼくのスピーキング力はどうかといえば、これがろくにしゃべれない。
とあるオンライン英会話サイトでテストしたところ、ぼくのスピーキングレベルはB1。これは英検でいうと2級レベルだった。これは高校卒業時に身に着けておくべきレベルだ。
どのくらいできないかは下の記事にも書いたけれど、”married couple(既婚のカップル)”というべきところを”marriage couple(結婚カップル)”といってしまった。
もし文法問題でmarriage coupleと出たら間違いなく訂正できる自信がある。
でも、どれだけ文法ができていても、いざ自分が話すとなると、それに気づかなくなるんだ。
この自分の経験からも、スピーキングは、他の技術とはまた別のモノが必要だと認識しているよ。
リーディングとは異なる技術なのだとすれば、早い段階から入試に導入して、スピーキング能力を鍛えるというのには賛成だよ。
ただし授業の基本はリーディングで
とはいえ、リーディング中心の今の入試試験がダメかといえばそういうわけではない。
というのは、アウトプットはインプット無しにはできないからだ。
リスニングやリーディングというのは、インプット・入力だよね。逆にライティングやスピーキングはアウトプット・出力だ。
この違いは大きい。一言で表すと、インプットのレベルをアウトプットが超えることは無いんだ。
例えば、リスニングやリーディングでは、文章のすべての単語を知らなくても内容を理解することは可能だ。
例えば、英文を読んでいて未知の単語に遭遇した場合、周りの文脈から類推することができる。
あるいは、リスニングの問題で正解するには、一言一句聞き漏らしてはいけないかというとそうでもない。
このように、つまり、インプットは知らなくても(ある程度は)読めたり聞けたりできる。自分の能力より数パーセント上のレベルが理解できるんだ。
一方で、アウトプットのスピーキング・ライティングではこうはいかない。
marriedという単語を知っているにも関わらずmarriage couple といってしまったぼくの例のように、自分の持つ知識より低いレベルの発信しかできないのが普通だ。
これは授業自体でもそうだよね。
ALTのコミュニケーション型授業では普段の英語の授業と比べて、学問として習得できる内容は浅くて少ない。
となると、スピーキングの授業が中心になってしまうと、英語として学べる要素が非常に少なくなってしまう。
だから、まずはリーディング・文法中心の授業をして、ある程度語彙や文法を広く習得してからでないと、英語全体の能力が成長しない。
四技能を入試で導入したからといって、英語の半分が討論やコミュニケーション形式になるのには、僕は反対するよ。
なぜ反対意見がでるのか
読解力衰退の不安
さて、四技能試験に反対する理由の主なものがこれ。
スピーキングを導入すると読解力が衰退する
うん。方針を間違えれば十分にあり得る話だ。
そしてさっき書いたように、読解力がない人は発信力にも早いだんかいで限界が来る。
では、どういう方針だと日本人の英語力衰退になるのだろうか?
答えは、スピーキング・コミュニケーションの授業が中心になることだ。
今の日本の英語教育は読解偏重だというけれど、一番基本のところなんだから、軽視するのは偏重よりも罪が重い。
悲しいことに、スピーキング中心にすべきといっている代表的な人の主張は、筋が通っていなかったり、主張の論拠が怪しかったり、体育会系的にねじ伏せていたりしているよ。誰とは言わないけどね。
やはり、いっぱい読んだうえでいっぱいしゃべるのがいいんじゃないかな。
だからって、スピーキングゼロはだめ。
とはいえ、授業や試験でスピーキングを導入しないのは、それはそれで問題がある。
繰り返すけれど、スピーキングは技術であって、鍛えないと伸びない。
以下はあくまでぼくの経験に基づくものでしかないんだけど、英検1級レベルの読解力があってもなにもしなければ英検2級程度のスピーキングしかできない。スピーキングの能力は、なにもしないと他の能力よりcefr基準で2段階低くなるんじゃないな。
これは軽視できない。
英検2級(高校卒業レベル)レベルの読解力・リスニング力を持っていても、鍛えなければ、しゃべる内容は中学3年生レベルとなる
大学、というより大学院では、論文を英語で発表する機会も増えるだろうから、入試や授業でスピーキングを導入してもいいんじゃないかな。
正し、読解の割合を極端に減らさないレベルで、という条件付きだけどね。
民間試験導入には反対
とはいえ、国公立大学が民間試験を導入するのには断固反対だよ。
まず、お金がかかる。東大が導入するとなると、高校卒業レベルより上のレベルを求めるだろうから、例えば英検準1級がひとつの基準となるだろう。
その場合、受験料は6900円。
あるいは、早稲田大学や上智大学が導入しているTEAPでは15000円。
せっかく安い国立大を受験するのに、結構な値段だね。
そうしてもう一つの問題。民間資格は大学の英語に即していない。
例えば東大の英語は、第一問に英文要約が出される。
これは、大学で英文を読む際に「どういう内容か理解し、全体をまとめる」力が必要だから課しているといわれている。
しかし、英検の読解問題はどうだろう?
読解とはいえ、すべて4択のマーク方式。つまり内容一致問題しか出ないんだ。
択一式問題も悪くないけれど、「消去法」など、本質的でないテクニックで解けるというデメリットがある。
そういうデメリットの解消が、民間試験にできるかどうかというのも大いに疑問だよ。
まとめ
今回は以上だよ。
まとめると、
アウトプットの技能は技術であり、大学入試で導入するメリットは大きい。しかしそれにより読解の授業の配分が減少すると長期的に見て英語全般の能力に支障が出る。授業も英語も読解授業中心なのは変えず、しかしスピーキング授業・スピーキング試験をまったくしないことのないような制度の考慮が求められる。
今回はここまでだよ。
ほんとうはいろんなブログにボロカス言いたいけれど、それは英検の二次試験に合格してからにするよ(^●ω●^)
追記・4技能試験導入延期に関して
2020年度より実施予定だった大学入試試験における民間試験導入が、国民民主党の城井崇議員などの尽力により、延期となりました。
これに関しまして、改めて私の考えを述べたく存じます。
2019年11月現在におきましても私の考えは変わっておりません。
すなわち、民間試験の導入は経済格差がそのまま教育格差につながることを助長する上に、英検などの試験が果たして大学教育で求められる『英語力』に即しているか非常に怪しいという理由からずっと反対の立場をとってきており、現在においてもその考えは変化していません。
どうも、自民党の大臣が一度決めたことを撤回するのは珍しいことだそうで、しかし今回延期となったことで、改めて日本の民主主義性を実感しました。
しかし同時に、まだまだ思いが完全に達成されたとは思っていません。
というのも、今回決定したのは、導入の中止ではなく、2024年以降への延期だからです。
2024年に延期されたところで、このままでは、その時代の高校生が不利益を被ることには変わりがありません。
経済的な観点、そして大学での教育・研究に必要な英語への適性という観点からも、まだまだ問題は山積みです。
これからも、英語の民間試験導入の問題は私たち国民が厳しく監視しなくてはいけません。