カワウソが人間界最強の言語を手にする物語

カワウソは、英語する。

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【暴論】そもそも英語学習自体いらない説【英検1級合格者が主張】

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はいどうも、カワウソだよ。今日は、英語学習の不要性について考えていくよ。

いきなりこう書くと、おかしくなったんじゃないかと思われるかもしれない。苦労して(9回不合格になって)英検1級に合格した人間が書くべきことではないだろう。

もちろん、これは、多くの英語学習者の趣味を妨害するものではない。むしろ、英語を好きで勉強している人はぜひ続けてほしい。より正直に書くと、もっと続けてほしい。

しかし、日本人の8割9割ほどは、頑張って、何かの時間を犠牲にして英語の学習をする必要はないと思っている。実際的な意味で英語を使える必要があるのは、政治家・(地方・国家)公務員・幹部クラス以上のビジネスマン、後は一部の学者くらいだ。それ以外は、自動翻訳機に任せればいい。

今回は、その理由を考えていくよ。

 

語学力よりも専門的技術向上を

英語だけではノーベル賞はとれない

英語の学習が多くの人にとって不要な理由は、第一に、多くの人には専門的な技能の獲得を優先してほしいからだ。

すなわち、語学に脳のキャパを使うと、数学や自然科学、ITといったところの習得に自分の能力を100%使うことができなくなる。

ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英氏は、中国や韓国で講演を行った際、なぜ日本人がノーベル賞を多くとっているのか質問されたそうだ。その際、「自国の言葉で最先端のところまで学べるから。」「自国語で深く考えることができるのはすごいことだ。」と回答している。

氏は、ノーベル賞授賞式のスピーチも、日本語で話した。英語が苦手だったようだ。

ヨーロッパではマルチリンガルの人は大勢いるけれど、それは言語がにているからだ。フランス語はスペイン語やイタリア語・ポルトガル語と共通するところがあるし、ドイツ語もデンマーク語と類似性がある。ヨーロッパ言語を母語とする人たちと、日本語を母語とする僕たちとでは、そもそもスタートが違う。英語をマスターするまでに必要な労力が違うのは当然なのだ。

日本語母語者は、英語学習のハードルが高い。であれば、理科や社会を高度化するとか、数学をより専門的なところまで学ぶとかしたほうが、将来的によい研究成果を残したり、ビジネスで結果を残したりできるではないかな。

もちろん、益川博士が益川・小林理論を考え付いたのは、小林誠氏が英語の論文を読み漁ったことも深く関係している。だから英語が不要というわけではない。しかし、益川さんのような人ならば、小林さんのような英語のできるパートナーを探したほうがいい。

益川さんは、大学院入試で、数学と物理学は満点だったものの、ドイツ語は白紙、英語もさんざんで、合格を認めるかどうか入試委員会で問題になったという。もし彼が不合格になっていれば、2008年のノーベル物理学賞は別の人がとっていたかもしれない。

英語の素質というか、ある程度勉強しても英語ができないならば、むりに勉強するよりも、あきらめてほかの能力を伸ばしたほうが、もしかするとノーベル賞級の発見やアイデアにつながると思うよ。

ヨーロッパの複言語主義は日本になじまない

ヨーロッパでは、複言語主義というのがあるようだ。要は、様々な言語を習得して、それを通して相互の文化の理解につとめようというものだ。この観点から、英語を学ぶ利点を主張する人もいる。

ただ、これは日本にはなじまない。

というのも、この主義は、修得が比較的やりやすい言語が前提になっているからだ。

欧州にはいくつもの国があり、多くの言語がある。ただ、そのほとんどが、ラテン、ゲルマン、スラブ語派のいずれかに属する(もちろん例外はある)。そして、同じ語派の言語は似ている。少なくとも、英語と日本語ほど差異の大きい言語はほぼない。

言語習得の労力が、欧州語人と日本語人とでは大きく異なる以上、日本語を母語とする人からすると、この複言語主義はなじまないのではないかな。

 

 

そもそも日本人は日本語を使えていない

母語がろくにできない日本人

また、そもそも日本人の多くがろくに母語・日本語を使いこなせていない。これは僕自身にもあてはまることだ。

「AIvs教科書の読めない子供たち」の著者として有名な新井紀子さんによれば、大学生や大人であっても、教科書の記述を論理的に正しく理解できない人が多いと主張する。

このことは、おそらく多くの人が直観的に納得することだろう。ツイッターの炎上なんかを見ると、全体はなんてことないのにちょっとした一部を切り取られ、かつ曲解されたことによって炎上するケースが少なくない。僕自身、自分の意図や立場を正反対にとらえられてプチ炎上したことがある。プチとはいえ、精神を摩耗した。

母語による論理的な文章をろくにできないでいて、それが外国語になればできるとは考えにくい。学校教育か、自宅での教育かと問わず、全体として日本語教育があまりなっていない。

これは古い考えのように思われるかもしれないけれど、ある程度母語をしっかりしてからでないと、英語を含む外国語をやってもうまくいかないのではないかな。

 

平泉・渡部論争と今

英語習得の難しさを踏まえての論争

1975年、平泉・渡部論争というのがあった。これは、元外交官の平泉渉と、英語学者の渡部昇一とが、日本の英語教育について激しくやりあった議論だ。

ここで平泉が言うには、外国語の修得は膨大な時間がかかる、したがって、義務教育に取り入れるのは本来無理な話だ。

国民の5%ほどが英語の実際的能力を持てば、600万の英語実用者が生まれ、その意義は計り知れないと主張した。

 

逆に言えば、当時の日本人のうち、英語がろくに使える人は人口の5%もいなかったということになる。そして、現在もその比率は変わっていないだろう。

ここを踏まえれば、英語、少なくとも現在の高校レベルの英語を義務教育から排除し、国語や数学のできる人の割合を増やしたほうがいいのではないかな。

 

今回はここまでだよ(^●ω●^)

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