はいどうも、カワウソだよ。
世の中では英語の重要性がますます高まっている。グローバル化社会においては当然のことだ。
しかし、なかにはその嫉妬なのか、それに反発する声もある。
それは、
「英語だけできても意味ないよ」
というものだ。
これに対して、「そういうことは、せめて英語だけでもできる人になってから言え」と語学学習者が反論しているのもよく聞く。
しかし、「英語だけでもできる人になってから言え」という反論は正しくはないし、はっきり言って逆効果だ。正直なところ、そういう反論しかできない人は「英語だけの人」だと思われても仕方ないのではないかと思うよ。
今回は、「英語だけしかできない人」について、そして、「英語だけできても~」に対する効果的でかつ正しい反論法を考えていこう。
『英語だけできる人』という誤解
そもそも『英語のできる人』は『英語だけの人』にはならない
まず、そもそも論として考えたいことがある。
それは、『英語だけできる人』というのは果たして存在するのかどうかということだ。
これは英語だけに限らないことだけれど、ある語学を学ぶにおいて、何をもって『語学ができる人』と認定するか、これは結構大事で、しかし同時に軽視される点だ。
すなわち、例えば文法はめちゃくちゃでもネイティブと英語で話して完璧に通じれば『英語ができる』人だし、
逆に、完璧な発音・完全な文法を知っていても、抑揚がなかったり、そもそも話す内容がなかったりするならば、相手にとって『英語が通じない人』となりうる。
日本の政治家の英語力(特に発音)が時折批判されることがあるけれど、内容が良ければ(加えて面白ければ)、発音が多少おかしくても「英語が通じる」になるのではないかと思うよ。
僕がMeetUpでした体験からすると、すくなくともネイティブであれば、こちらの英語がなまっていても通じると思うよ。
(関連記事:Meetup(ミートアップ)で外国人と交流して色々学んだ話)
ちょうど、外国人の話す日本語が、多少なまりがあっても日本人にはほぼほぼ通じるのと同じ感じだね。
話を戻そう。
何をして、「英語ができる」というのか。
僕の主観では、それは「英語で情報の受信送信ができる人」のことだと思う。
というのも、英語に限らず、語学は9割以上の人にとっては情報伝達の手段だ。
となると、「英語のできる人」というのは、その英語を活かして情報を享受したり、逆に送ったりできる人のことを言うのではないかな。
例えばインプットでいえば、英字新聞や洋書を読んで内容を理解できて、
アウトプットでいえば、自分の伝えたいことを適切に書いたり話したりできる
そういう人のことを、「英語のできる人」と呼ぶのがいいんじゃないかな。
となると、「英語のできる人」は「英語だけの人」とはなりようがない。
というのも、例えばインプットの能力でいえば、英語で書かれた情報を理解すれば、それは知識習得の能力があるわけだし、
アウトプットでいえば、自分の意見を論理的に伝えられる人ということになる(英語圏、特にアメリカでは、物事を論理的に説明したり主張したりする機会が日本より多い)。
すなわち、本当に英語のできる人は、英文法や英単語の知識しかない、「英語だけできる人」にはなりようがないんだ。
「英語だけできても~」に対する正しい反論のしかた
『英語だけでも話せてからモノ言え』と反論するから『英語だけの人』になる
適切に考えれば、『英語しかできない人』『英語だけ得意な人』というのが希少なことはわかるだろう。(あるとすれば、高校で英語しか点数の良くない人か、資格のために英語を頑張るTOEICkerタイプの人かぐらいだろう)
しかし、一部の英語学習者による、「せめて英語だけでもできてからモノを言え」といった反論によって、「だからお前は英語だけなんだ」と思われかねない。
というのも、こういう発言は、論理的には「英語だけできても~」に対する答えとなっていないからだ。
いう人の英語能力と、その人の発言の正しさは、無関係だ。にも拘わらず「英語できてから言え」というのは、回答を放棄していることになる。
相手からしたら「いや、答えてよ」という気持ちじゃないかな。
こういう反論は、正直ほかの『英語ができる人』に不利益を与えかねないから、やめた方がいい。
以下、「英語だけできても~」に対する適切な反論を一緒に考えてみよう。
その1:「英語だけ」が「英語だけ」でないことを説明する
まず、一つ考えつく方法として、「英語ができる」ためにはいくつもの能力が必要だということ、そして、英語ができることで、他の能力も向上できることを説明するというやりかただ。
具体的には上章で書いたようなことを言えばいい。
「英語ができると、TIMEもNYtimesを読んで、多くの日本人の知らない情報を知ったり、あるいは、いろんな地域の人と話すことで柔軟な思考ができるようになります」というようなものだ。
こういう風に言い返すことで、少なくとも貴方は「整然な反論ができる」人と認識されるのではないかな。
その2:英語以外の能力を身に着ける
次に考え着くのは、「英語以外にもできるものがある」とアピールすることだ。
さっきの方法が「英語だけ~」の意見に直接立ち向かう方法だとすれば、こちらは「私は『英語だけの人』ではありませんよ~」と『自分は違う』アピールをする方法だ。
例えば、スタンフォード大学やオックスフォード大学を出ている人に「英語だけの人」と言える人は多くないだろう。英語圏の大学の中でも、出身者のレベルや業績が高い大学だからだ。
あるいは、税理士の資格を取っている人にだって「英語だけの人」とは言えない。
上に挙げた二つはとてもレベルの高いものだけれど、そうでなくとも、割と知名度のある資格(英語以外)を取れば、少なくとも「英語だけの人」とは言われることはないだろうね。
実際、漢検、数検、英検1級、そして東京大学にも合格している人を僕は知っている。そういう方は、『英語だけできても』とは言われないだろう。
まあ、取ったところで「勉強だけできても~」といわれたらこの方法は使えないので注意してね。
今回はここまでだよ。
まとめると
「英語だけの人」は実は稀有。「英語だけできても~」といわれたら、その人は残念な人だと思いながら、可能なら反論しよう。
英語のできる人が軽く見られない社会になるといいね(^●ω●^)
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